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シチリア島の旅 21(ネアポリス考古学公園(ヒエロン2世祭壇とローマの円形闘技場)@シラク―サ) [海外@シチリア島(伊)2022秋]
ネアポリス考古学公園の最後です。
トップの写真は↑ヒエロン2世の祭壇で現在残っているのは基壇のみです。
紀元前3世紀(ギリシア劇場が改築された頃)ヒエロン2世の時代に
シラクーサは繁栄と平和を謳歌したとのこと。
紀元前3世紀(ギリシア劇場が改築された頃)ヒエロン2世の時代に
シラクーサは繁栄と平和を謳歌したとのこと。
この祭壇はゼウス(ギリシア神話の主神たる全知全能の存在)に捧げられたもので
生贄の450頭もの牛が焼かれたそうです。
生贄の450頭もの牛が焼かれたそうです。
タオルミーナのギリシア劇場は、ローマによって改築され闘技場になっていましたが
ここシラクーサでは、ローマは帝政時代(3~4世紀)にギリシア劇場とは別に
円形(楕円形)闘技場を建造しました。
ここシラクーサでは、ローマは帝政時代(3~4世紀)にギリシア劇場とは別に
円形(楕円形)闘技場を建造しました。
中央には地下装置のための奈落が見えます。
この通路は狩猟ショーのための動物が通ったのかもしれないですね。
前記事のギリシア劇場に比べると小ぶりに見えますが、決して小さいものではなく
かなりの大きさがある円形闘技場でした。
通路脇には石棺が置かれていました。
バスの駐車場に絞り立てのオレンジジュースを売るお店があり
ちょっと蒸し暑い日だったので喉を潤すために飲んだところ、とっても美味しかったです^^
この後、イタリアで最も重要な考古学博物館のひとつ「パオロ・オルシ考古学博物館」へ。
余談ですが、古代ギリシアの数学者として有名なアルキメデスはシラクーサで生まれ
シラクーサで亡くなったとのことです。
シラクーサで亡くなったとのことです。
シチリア島の旅 20(ネアポリス考古学公園(ギリシア劇場)@シラク―サ) [海外@シチリア島(伊)2022秋]
シラクーサ、ネアポリス考古学公園の観光の続きです。
石切り場の隣にあったのがギリシア劇場。
紀元前5世紀、ヒエロンによって建設され、紀元前3世紀にヒエロン2世によって改築され
古代世界最大級の劇場となったとのこと。
その当時、シラク―サはアテネやアレクサンドリアと並ぶ演劇のメッカだったとか。
石切り場の隣にあったのがギリシア劇場。
紀元前5世紀、ヒエロンによって建設され、紀元前3世紀にヒエロン2世によって改築され
古代世界最大級の劇場となったとのこと。
その当時、シラク―サはアテネやアレクサンドリアと並ぶ演劇のメッカだったとか。
ここでは、ギリシア三大悲劇詩人(アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス)のひとり
アイスキュロスの悲劇「ペルシア人」の初演が行われたとも言われているそうです。
お墓として利用されていたとのことです。
ギリシア劇場の上部からの眺めです
周囲を歩いているとザァーザァーという水の流れの音が聞こえてきます。
前記事の石切り場に地下水道の跡が見られましたが、石切り場とは別の水路がギリシア劇場の上部まで、
今も29キロ先の水源地から水を運び続けているのです。
今も29キロ先の水源地から水を運び続けているのです。
遺跡の向こうに見えた塔のようなものは、マドンナデッレラクリメ聖所記念堂。
高い建物がないシラクーサの町の中でかなり遠くからも見えて目立っていました。
ガイドさんの説明によると、産後の肥立ちが悪く目が見えなくなってしまった奥さんが、
自宅にあったマリア像にお祈りをしていたところ、マリア像から涙がこぼれ、
奥さんの目が見えるようになったという奇跡が起こり、これを聞きつけて多くの人が
訪れるようになったので、その場所に奇跡にちなんで建てられた聖堂、涙の聖母教会で
奇跡としてローマカトリック教会に正式に認定されているとのことです。
高い建物がないシラクーサの町の中でかなり遠くからも見えて目立っていました。
ガイドさんの説明によると、産後の肥立ちが悪く目が見えなくなってしまった奥さんが、
自宅にあったマリア像にお祈りをしていたところ、マリア像から涙がこぼれ、
奥さんの目が見えるようになったという奇跡が起こり、これを聞きつけて多くの人が
訪れるようになったので、その場所に奇跡にちなんで建てられた聖堂、涙の聖母教会で
奇跡としてローマカトリック教会に正式に認定されているとのことです。
ネアポリス考古学公園、もう1回続きます。
(2022年10月14日午前中 旅行期間:2022年10月11日~10月21日)
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<おまけ>
アレンジです。
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<おまけ>
アレンジです。

<花材:ユキヤナギ、バラ、チューリップ、デルフィニウム、スイトピー、フリージア、(白)アリウム・コワニー(?)>
シチリア島の旅 19(ネアポリス考古学公園(天国の石切り場)@シラク―サ) [海外@シチリア島(伊)2022秋]
今日はシチリアの旅行記の続きです。
タオルミーナを後にして一路シラク―サへ。
シラク―サでまず訪れたのが考古学地区のネアポリス考古学公園。
シラク―サでまず訪れたのが考古学地区のネアポリス考古学公園。
ここには、
・石切り場、
・ギリシア劇場、
・ローマ時代の円形闘技場、
・ヒエロン2世の祭壇などがありますが、
最初に見学したのがギリシア時代の石切り場で「天国の石切り場」と名付けられています。
・石切り場、
・ギリシア劇場、
・ローマ時代の円形闘技場、
・ヒエロン2世の祭壇などがありますが、
最初に見学したのがギリシア時代の石切り場で「天国の石切り場」と名付けられています。
黒猫ちゃんが、石の上で寛いでいました。
紀元前735年にギリシア人が初めてシチリア入植したのは、シチリアに到着した日の昼食で訪れた
ナクソスでしたが、シラク―サも古代ギリシアの植民都市「シュラクーサイ」が起源です。
ナクソスでしたが、シラク―サも古代ギリシアの植民都市「シュラクーサイ」が起源です。
公園内は1950年代に植林と歩道整備が行われて、今では熱帯植物や柑橘類の樹木が茂っています。
これはオリーブの実ですね。
直線的な部分が石切り場らしいです。
ここから切り出された石は、シラク―サの町の城壁を作るために使われたそうです。
ここから切り出された石は、シラク―サの町の城壁を作るために使われたそうです。
こちらのロバの耳の形のような洞窟が、「ディオニュシオスの耳」と呼ばれる洞窟。
岩盤の表面に横にラインが入っているように見えますが、これは、下の石を掘りすぎて
崩落したしまったことで分かったのですが、そこはギリシア時代の地下水道の横穴だったそうです。
↓下から見ると、ラインのところが窪んでいるのがお分かりいただけると思います。

遠くから見るとこんな感じです。
この洞窟の上にギリシア劇場があります。
崩落したしまったことで分かったのですが、そこはギリシア時代の地下水道の横穴だったそうです。
↓下から見ると、ラインのところが窪んでいるのがお分かりいただけると思います。
遠くから見るとこんな感じです。
この洞窟の上にギリシア劇場があります。
洞窟内から外を見るとこんな感じです。
「ディオニュシオスの耳」という呼び名は、
ここを訪れた画家のカラヴァッジョ(私がメッシーナまで見に行った絵を描いた画家)が、
シラク―サの僭主(身分を超えて君主となる者)ディオニュシオス(「走れメロス」に登場する暴君とのこと)が
この洞窟に閉じ込めた捕虜のひそひそ話を盗み聞いたという伝説を聞いて、命名したとのこと。
ここを訪れた画家のカラヴァッジョ(私がメッシーナまで見に行った絵を描いた画家)が、
シラク―サの僭主(身分を超えて君主となる者)ディオニュシオス(「走れメロス」に登場する暴君とのこと)が
この洞窟に閉じ込めた捕虜のひそひそ話を盗み聞いたという伝説を聞いて、命名したとのこと。
それにしても、洞窟内の人間の大きさがあまりにも小さいです。
掘りにも掘ったものですよね。これだけ掘れば崩落しても仕方がないように思います。
掘りにも掘ったものですよね。これだけ掘れば崩落しても仕方がないように思います。
続きます。
(2022年10月14日午前中)
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焼き魚のお供として、大根おろしにしたら、ちょっとピリッと辛くて瑞々しく美味しかったです。
虫食いのあとがありますが、もちろん葉っぱも捨てずに食べます。
サッと湯がいて刻みおじゃこと一緒に炒めて、みりん、焦がしたお醤油、かつおぶしで味付けです。
ゴハンが進みます^^
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